練習について
全体練習の前に、パートごとのヴォイストレーニングをおこなっています。
17:00~18:00
第1週:Bass 第2週:Tenor 第3週:Alto 第4週:Soprano
第5週はありません。
練習会場:神戸市医師会館3階または4階 18:15~21:00
昭和21年(1946)2月17日、神戸土曜会合唱団はドイツ民謡「夕べの鐘」の練習をもってスタートしました。 終戦から6カ月しかたっていないその頃、空襲で焼け野原になった神戸の町の中に、ポツンと残ったレンガ造りの教会の高い塔がひときわ目を引いていました。

この神戸栄光教会の斉藤宗治牧師が荒廃した世相を憂い、荒んだ人々の心を音楽によって和ませることが出来れば、と北村信雄に指揮を依頼し、合唱団を設立されたのです。 牧師館1階の応接室に、斉藤牧師の二人の令嬢を含めて10名足らずのメンバーが集まり、関西において戦後初めての合唱の響きが流れました。
この日は戦後の経済史に特筆される「緊急金融封鎖政策」が発表された日でもありました。 1カ月の生活費がひとり500円と決められたので、その中から出す月3円の会費は貴重なものでした。
楽譜は栄光教会で礼拝を行なっていた進駐軍の使い古したプログラムやレターペーパーをもらってガリ版刷りをしていました。

同じ年の3月、神戸音楽同好会が結成され、当合唱団もその音楽活動の一翼を担うことになり、教会にちなんで神戸栄光合唱団と命名。 同好会の第1回例会の時に一般より団員募集を行ない、30名くらいの合唱団となりました。 5月21日には特別例会として栄光教会で第1回発表会を開きました。 合唱曲は4曲、団員のピアノ演奏を含めての演奏会でした。
昭和22年(1947)、神戸音楽同好会が活動を停止したため、当合唱団は独り立ちしてやっていくことになりました。その頃、神戸栄光合唱団という名称は「教会の聖歌隊と紛らわしい」という声が教会側から出たため、現在の「神戸土曜会合唱団」に改名することになったのです。当初の日曜日の午後の練習時間が、この頃までに土曜日の夕方に変わっていたことがうかがえます。
次第にメンバーも増えて、26年(1951)には相生市への演奏旅行なども行ない、11月には創立5周年記念の定期演奏会を、当時としては唯一の大ホールであった旧神戸商工会議所のホールで開催しました。演奏曲はモーツァルト作曲とされていた「12番ミサ」(現在は別人の作品と判明)と小曲を数曲歌いましたが、ミサの本格的全曲通しの演奏は珍しく、満席の聴衆からわれんばかりの拍手を頂き、団員一同感激したものです。 神戸土曜会合唱団ではこの演奏会を第1回定期演奏会としています。 この時団員は71名となっていました。

この神戸栄光教会の斉藤宗治牧師が荒廃した世相を憂い、荒んだ人々の心を音楽によって和ませることが出来れば、と北村信雄に指揮を依頼し、合唱団を設立されたのです。 牧師館1階の応接室に、斉藤牧師の二人の令嬢を含めて10名足らずのメンバーが集まり、関西において戦後初めての合唱の響きが流れました。
この日は戦後の経済史に特筆される「緊急金融封鎖政策」が発表された日でもありました。 1カ月の生活費がひとり500円と決められたので、その中から出す月3円の会費は貴重なものでした。
楽譜は栄光教会で礼拝を行なっていた進駐軍の使い古したプログラムやレターペーパーをもらってガリ版刷りをしていました。

同じ年の3月、神戸音楽同好会が結成され、当合唱団もその音楽活動の一翼を担うことになり、教会にちなんで神戸栄光合唱団と命名。 同好会の第1回例会の時に一般より団員募集を行ない、30名くらいの合唱団となりました。 5月21日には特別例会として栄光教会で第1回発表会を開きました。 合唱曲は4曲、団員のピアノ演奏を含めての演奏会でした。
昭和22年(1947)、神戸音楽同好会が活動を停止したため、当合唱団は独り立ちしてやっていくことになりました。その頃、神戸栄光合唱団という名称は「教会の聖歌隊と紛らわしい」という声が教会側から出たため、現在の「神戸土曜会合唱団」に改名することになったのです。当初の日曜日の午後の練習時間が、この頃までに土曜日の夕方に変わっていたことがうかがえます。
次第にメンバーも増えて、26年(1951)には相生市への演奏旅行なども行ない、11月には創立5周年記念の定期演奏会を、当時としては唯一の大ホールであった旧神戸商工会議所のホールで開催しました。演奏曲はモーツァルト作曲とされていた「12番ミサ」(現在は別人の作品と判明)と小曲を数曲歌いましたが、ミサの本格的全曲通しの演奏は珍しく、満席の聴衆からわれんばかりの拍手を頂き、団員一同感激したものです。 神戸土曜会合唱団ではこの演奏会を第1回定期演奏会としています。 この時団員は71名となっていました。
昭和30年代はコーラスブームといわれる時代で、神戸土曜会でもピーク時には150名の団員を擁していました。 この勢いは、ひとつの転機をもたらしました。若手男性のファイトに引っ張られ、楽しむことに加えて「進歩のある合唱団にしたい」、「高い芸術性を求めたい」という意欲を持つようになったのです。
そのひとつの結果としてコンクールでの入賞があり、また神戸新聞会館大劇場での10周年記念演奏会の成功があるといえるでしょう。
昭和31年(1956)、創立10周年を迎えて開いた第3回定期演奏会ではモーツァルトの「戴冠ミサ」を演奏しました。 以後、10年毎の記念演奏会では同曲を演奏することになりました。 20周年定期演奏会では、初めてオーケストラ伴奏で独唱者もプロの方にお願いしました。 オーケストラとの共演による大曲の演奏は、その魅力とともにオリジナルの形による演奏としての満足感がありました。
昭和38年(1963)より兵庫県芸術祭「ベートーベン第九交響曲の夕べ」に毎年出演、合唱パートの中心団体となりました。毎年末の「第九」出演は平成13年(2001)までずっと継続してきました(この「第九の夕べ」は、平成14年から主催者側の事情により中止となり、出演の機会がなくなったことは、大変残念なことです)。
同年第9回定期演奏会に林雄一郎氏を客演指揮者に迎えたのを初めとして、39年にはD・ラーソン氏、 42年には森正氏、46年(1971)の25周年記念第17回定期演奏会には渡辺暁雄氏を迎えてご指導をいただきました。 この時期には、コンクールへの参加をやめ、代わりに「オラトリオ・シリーズ」と銘打ったコンサートを始めました。
昭和41年(1966)10月の創立20周年記念定期演奏会に続き、20周年記念事業の一環として昭和42年2月東京演奏会を開催しました。 開通間もない新幹線で上京、東京厚生年金会館で「戴冠ミサ」を中心に宗教曲ばかり、という土曜会独特のプログラムを組み、絶賛を博しました。
また、目白の東京カテドラル大聖堂での夕方のミサに奉仕させていただきました。それまでに相生市、西脇市、豊岡市など県下諸都市で演奏会を持ち、地方都市での合唱音楽の普及振興に微力を尽くしてきたこと、兵庫県芸術祭恒例のベートーヴェン「第九」の演奏とあわせて、県下の音楽文化振興に貢献ありとして昭和42年兵庫県文化賞を受賞しました。 また、昭和50年(1975)には神戸市文化賞を受賞しました。
そのひとつの結果としてコンクールでの入賞があり、また神戸新聞会館大劇場での10周年記念演奏会の成功があるといえるでしょう。
昭和31年(1956)、創立10周年を迎えて開いた第3回定期演奏会ではモーツァルトの「戴冠ミサ」を演奏しました。 以後、10年毎の記念演奏会では同曲を演奏することになりました。 20周年定期演奏会では、初めてオーケストラ伴奏で独唱者もプロの方にお願いしました。 オーケストラとの共演による大曲の演奏は、その魅力とともにオリジナルの形による演奏としての満足感がありました。
昭和38年(1963)より兵庫県芸術祭「ベートーベン第九交響曲の夕べ」に毎年出演、合唱パートの中心団体となりました。毎年末の「第九」出演は平成13年(2001)までずっと継続してきました(この「第九の夕べ」は、平成14年から主催者側の事情により中止となり、出演の機会がなくなったことは、大変残念なことです)。

昭和41年(1966)10月の創立20周年記念定期演奏会に続き、20周年記念事業の一環として昭和42年2月東京演奏会を開催しました。 開通間もない新幹線で上京、東京厚生年金会館で「戴冠ミサ」を中心に宗教曲ばかり、という土曜会独特のプログラムを組み、絶賛を博しました。
また、目白の東京カテドラル大聖堂での夕方のミサに奉仕させていただきました。それまでに相生市、西脇市、豊岡市など県下諸都市で演奏会を持ち、地方都市での合唱音楽の普及振興に微力を尽くしてきたこと、兵庫県芸術祭恒例のベートーヴェン「第九」の演奏とあわせて、県下の音楽文化振興に貢献ありとして昭和42年兵庫県文化賞を受賞しました。 また、昭和50年(1975)には神戸市文化賞を受賞しました。
昭和50年(1975)、オランダのハーグで隔年開催される「世界合唱フェスティバル」に招聘されたのを機に、兵庫県および神戸市の文化使節として渡欧、最初の海外演奏旅行を行ないました。ヨーロッパの音楽を肌で感じ、本場で演奏してみたいというのは音楽愛好家の最高の望みでしょう。

6月18日大阪国際空港を飛び立った一行は、途中、コペンハーゲンのグランドビック教会とストックホルムの聖ヤコブ教会で単独演奏会を行い、ウィーン、チューリッヒを回ってオランダ入りしました。 6月26日の世界合唱フェスティバル前夜祭に引き続き、27日には19カ国50団体が参加したコンテストに出場、その後、パリを観光して7月2日に帰国しました。
この海外演奏旅行によって、国際交流を深め、世界の合唱音楽を存分に見聞することができました。中でも、各合唱団がそれぞれすばらしい個性・特徴を持ち、十分に生かしていることを発見したことは最大の収穫でした。
この経験から、土曜会も確固たる信念と個性を持たねばならないと考え、「宗教曲を歌わせれば土曜会」という定評を土台に、さらに宗教音楽への研鑚を続けることにしました。
これを具体化したのがチャペルコンサートです。昭和52年(1977)6月、第23回定期演奏会が六甲カトリック教会で行われました。この演奏会を第1回チャペルコンサートとして、以後は定期演奏会とは別に毎年11月に行なっています。平成16年(2004)のチャペルコンサートは、阪神淡路大震災で倒壊し、再建なったカトリック神戸中央教会で初めて演奏しました。
また、昭和57年(1982)夏には、兵庫県と中国・広東省との友好提携調印に際して文化使節団に参加し、広州と上海での交歓会において演奏を行ないました。
昭和61年(1986)、40周年を迎えて記念演奏会が催され、OB・OG会(ひかり会)も結成されました。 ヨーロッパへの演奏旅行は、平成元年 (1989)、同6年(1994)、同12年(2000)と今日までに4回を数え、それぞれに各地の教会やホールでの演奏会、地元合唱団と交流しました。
右上の写真は、平成6年の第3回ヨーロッパ演奏旅行で現地合唱団と催したジョイント・コンサートです。この演奏旅行は、北村信雄が指導した”兄弟”合唱団である三木混声合唱団、高倉台コールエコーとの共同企画によるものです。

6月18日大阪国際空港を飛び立った一行は、途中、コペンハーゲンのグランドビック教会とストックホルムの聖ヤコブ教会で単独演奏会を行い、ウィーン、チューリッヒを回ってオランダ入りしました。 6月26日の世界合唱フェスティバル前夜祭に引き続き、27日には19カ国50団体が参加したコンテストに出場、その後、パリを観光して7月2日に帰国しました。
この海外演奏旅行によって、国際交流を深め、世界の合唱音楽を存分に見聞することができました。中でも、各合唱団がそれぞれすばらしい個性・特徴を持ち、十分に生かしていることを発見したことは最大の収穫でした。
この経験から、土曜会も確固たる信念と個性を持たねばならないと考え、「宗教曲を歌わせれば土曜会」という定評を土台に、さらに宗教音楽への研鑚を続けることにしました。

また、昭和57年(1982)夏には、兵庫県と中国・広東省との友好提携調印に際して文化使節団に参加し、広州と上海での交歓会において演奏を行ないました。
昭和61年(1986)、40周年を迎えて記念演奏会が催され、OB・OG会(ひかり会)も結成されました。 ヨーロッパへの演奏旅行は、平成元年 (1989)、同6年(1994)、同12年(2000)と今日までに4回を数え、それぞれに各地の教会やホールでの演奏会、地元合唱団と交流しました。
右上の写真は、平成6年の第3回ヨーロッパ演奏旅行で現地合唱団と催したジョイント・コンサートです。この演奏旅行は、北村信雄が指導した”兄弟”合唱団である三木混声合唱団、高倉台コールエコーとの共同企画によるものです。
平成7年(1995)1月17日、マグニチュード7.2の直下型大地震が阪神地区・淡路島北部を襲いました。震度7という激震により多くの家屋やビルが倒壊し、交通網は寸断され、電気・ガス・水道が止まりました。土曜会の団員も被災者となり、あるいは家を失い、あるいは一時避難を余儀なくされ、不自由な生活を強いられることとなりました。しかし、団員に死傷者のなかったことは何より幸いなことでした。
結局、3月までの練習は中止となりましたが、4月以降“歌いたい”という団員の熱意に、月4回・土曜日と日曜日の午後に練習をする事となり、6月からは毎土曜日の夜の練習に戻りました。残念ながら6月の定期演奏会は開催できませんでしたが、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、練習曲をレクイエム(シューマン作曲)に変更して11月の第18回チャペルコンサートで演奏しました。
結局、3月までの練習は中止となりましたが、4月以降“歌いたい”という団員の熱意に、月4回・土曜日と日曜日の午後に練習をする事となり、6月からは毎土曜日の夜の練習に戻りました。残念ながら6月の定期演奏会は開催できませんでしたが、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、練習曲をレクイエム(シューマン作曲)に変更して11月の第18回チャペルコンサートで演奏しました。
波乱に満ちた平成7年が過ぎ、神戸土曜会合唱団創立50周年の記念すべき年がやって来ました。 予定していた2月の神戸栄光教会でのコンサートは、教会が全壊したため開催が危ぶまれましたが、同教会のご好意によりテントの仮会堂で開催する事ができました。
会場ではOB・OGも交えて合唱し、土曜会発祥の地で50年の歴史に思いをはせ、心に残るコンサートとなりました。 関連新聞記事
50周年のコンサートを機に、神戸土曜会合唱団はさらなる発展を目指して、新たな目標を掲げました。モーツァルトの作曲したミサ曲の全曲演奏です。
モーツァルトはソレムニス(荘厳ミサ)と比較的小規模なミサ・ブレヴィス、合わせて17曲を作曲しています(18番目は「レクイエム」)。10年ごとの記念演奏会で必ず演奏する「戴冠ミサ」や、過去に歌ったことのある曲を含め、平成15年(2003)7月6日の第48回定期演奏会で演奏した「大ミサ ハ短調」が、18曲目になり、同演奏会をもってひとまず「全曲演奏」を達成することが出来ました。
もちろん、この他にも山田耕筰集や唱歌など懐かしい日本の歌、モテット、マドリガルなど幅広く取り組んでいます。その間、平成10年(1998)8月のヨーロッパ演奏旅行では、フィレンツェでミサに参加、アッシジ、ウスターで演奏会、と各地の教会で「美しい音の世界」を経験しました。
阪神淡路大震災から9年目となる平成16年(2004)、神戸市中央区のカトリック中央教会が再建され、12月5日同教会聖堂でそのお祝いをかねたチャリティーコンサートを開かせていただきました。このコンサートが、過去26年間、六甲カトリック教会でお世話になったチャペルコンサートに続く第27回チャペルコンサートとなりました。
震災10周年を迎えた2005年には、当合唱団が産声をあげた神戸栄光教会が再建され、2月11日真新しい聖堂で「再建お祝い演奏会」を開かせていただきました。
また、7月3日の定期演奏会は、「鎮魂と新生のために 震災10年特別演奏会」と銘打ち、神戸文化ホール・大ホールでモーツァルトの「レクイエム」を演奏しました。この演奏会はもちろん犠牲になられた方々の「鎮魂と再生」を祈念したものでした。
しかし、演奏会の直前、この演奏会を企画した指揮者、北村信雄自身が急逝、松原嘉雄が代わって指揮台に立ちましたが、私たち団員にとっては、指揮者に対する鎮魂の演奏会ともなってしまいました。
10月2日は、NHK衛星第2放送「お~い、ニッポン 私の・好きな・兵庫県」という番組に出演しました。西宮市の阪急「西宮北口」駅前に竣工した兵庫芸術文化センターの柿(こけら)おとしに先駆けての生放送。佐渡裕氏の指揮、同芸術文化センター管弦楽団伴奏で栗山和樹編曲の「兵庫ラプソディー」(「しあわせ運べるように」「すみれの花咲く頃」「酒造り祝い歌」「六甲おろし」など、兵庫県ゆかりの歌組曲)を児童合唱団、西宮混声合唱団、高砂高校吹奏楽団などとの共演でしたが、普段歌ったことのないような数曲を演奏、楽しい体験をさせていただきました。(本番の写真は撮影できませんでしたが、リハーサル風景は右の写真をクリックしてください)。 そして11月26日が、新たに松尾、清水両先生を迎えての神戸土曜会合唱団再スタートの日となりました。
◎ ◎ ◎
2006年(平成18年)は、文字通り「新生」神戸土曜会合唱団として実質的な活動を始めた年。7月2日の「創立60周年記念・第51回定期演奏会」が最初のお披露目の場となとなりました。
11月23日に開催した第29回チャペルコンサートは、「北村信雄追悼演奏会」を兼ね、生前、北村信雄が指導していた三木混声合唱団、高倉台コールエコーとの合同で執り行ないました。会場も北村にとっては縁の深い土曜会発祥の地「神戸栄光教会」とさせていただきました。
2007年7月8日の第52回定期演奏会は清水光彦先生指揮のもと、土曜会合唱団の新境地を開くステージとして、現代イギリスを代表する作曲家、ジョン・ラターのアンセム集に取り組みました。
また、10月21日には神戸市医師会主催の「MEDICAL CARE コンサート」に他の合唱団と共に出演、6年ぶりにベートーヴェン「第九」(指揮・松尾昌美先生)を歌う機会を得て、団員一同頑張って歌わせていただきました。
2008年7月6日の第53回定期演奏会は、J.ハイドンのオラトリオ「四季」。初めて原語による全曲演奏に取り組みました。
2009年7月12日の第54回定期演奏会もハイドンの没後200年にちなみ“ハイドンシリーズ”として、「テレジア・ミサ」などを、同11月23日の第30回チャペルコンサートではイタリア人作曲家による「アヴェマリア集」などを演奏しました。
2010年6月27日の第55回定期演奏会は、「天地創造」をキィワードに、ハイドンの「天地創造ミサ」と中西覚作曲の合唱幻想曲「スサノヲ」を演奏しました。「スサノヲ」は和太鼓を用いた独創的な曲で、土曜会の新境地を開く演奏となり、好評でした。北村信雄没5年にあたり、アンコールに北村が好んだ「からたちの花」を演奏しました。
これまで私たちをあたたかく見守り、ときには厳しい批評を下さった聴衆の皆様、OB・OGの皆様、ご指導いただいた指揮者、ソリスト、伴奏者、そしてさまざまな形でご助力をいただいた方々。 これら多くの方々のご支援に感謝しつつ、神戸土曜会合唱団はこれからも歌い続けます。
会場ではOB・OGも交えて合唱し、土曜会発祥の地で50年の歴史に思いをはせ、心に残るコンサートとなりました。 関連新聞記事
50周年のコンサートを機に、神戸土曜会合唱団はさらなる発展を目指して、新たな目標を掲げました。モーツァルトの作曲したミサ曲の全曲演奏です。
モーツァルトはソレムニス(荘厳ミサ)と比較的小規模なミサ・ブレヴィス、合わせて17曲を作曲しています(18番目は「レクイエム」)。10年ごとの記念演奏会で必ず演奏する「戴冠ミサ」や、過去に歌ったことのある曲を含め、平成15年(2003)7月6日の第48回定期演奏会で演奏した「大ミサ ハ短調」が、18曲目になり、同演奏会をもってひとまず「全曲演奏」を達成することが出来ました。
もちろん、この他にも山田耕筰集や唱歌など懐かしい日本の歌、モテット、マドリガルなど幅広く取り組んでいます。その間、平成10年(1998)8月のヨーロッパ演奏旅行では、フィレンツェでミサに参加、アッシジ、ウスターで演奏会、と各地の教会で「美しい音の世界」を経験しました。
阪神淡路大震災から9年目となる平成16年(2004)、神戸市中央区のカトリック中央教会が再建され、12月5日同教会聖堂でそのお祝いをかねたチャリティーコンサートを開かせていただきました。このコンサートが、過去26年間、六甲カトリック教会でお世話になったチャペルコンサートに続く第27回チャペルコンサートとなりました。
震災10周年を迎えた2005年には、当合唱団が産声をあげた神戸栄光教会が再建され、2月11日真新しい聖堂で「再建お祝い演奏会」を開かせていただきました。
また、7月3日の定期演奏会は、「鎮魂と新生のために 震災10年特別演奏会」と銘打ち、神戸文化ホール・大ホールでモーツァルトの「レクイエム」を演奏しました。この演奏会はもちろん犠牲になられた方々の「鎮魂と再生」を祈念したものでした。
しかし、演奏会の直前、この演奏会を企画した指揮者、北村信雄自身が急逝、松原嘉雄が代わって指揮台に立ちましたが、私たち団員にとっては、指揮者に対する鎮魂の演奏会ともなってしまいました。

◎ ◎ ◎
2006年(平成18年)は、文字通り「新生」神戸土曜会合唱団として実質的な活動を始めた年。7月2日の「創立60周年記念・第51回定期演奏会」が最初のお披露目の場となとなりました。
11月23日に開催した第29回チャペルコンサートは、「北村信雄追悼演奏会」を兼ね、生前、北村信雄が指導していた三木混声合唱団、高倉台コールエコーとの合同で執り行ないました。会場も北村にとっては縁の深い土曜会発祥の地「神戸栄光教会」とさせていただきました。
2007年7月8日の第52回定期演奏会は清水光彦先生指揮のもと、土曜会合唱団の新境地を開くステージとして、現代イギリスを代表する作曲家、ジョン・ラターのアンセム集に取り組みました。
また、10月21日には神戸市医師会主催の「MEDICAL CARE コンサート」に他の合唱団と共に出演、6年ぶりにベートーヴェン「第九」(指揮・松尾昌美先生)を歌う機会を得て、団員一同頑張って歌わせていただきました。
2008年7月6日の第53回定期演奏会は、J.ハイドンのオラトリオ「四季」。初めて原語による全曲演奏に取り組みました。
2009年7月12日の第54回定期演奏会もハイドンの没後200年にちなみ“ハイドンシリーズ”として、「テレジア・ミサ」などを、同11月23日の第30回チャペルコンサートではイタリア人作曲家による「アヴェマリア集」などを演奏しました。
2010年6月27日の第55回定期演奏会は、「天地創造」をキィワードに、ハイドンの「天地創造ミサ」と中西覚作曲の合唱幻想曲「スサノヲ」を演奏しました。「スサノヲ」は和太鼓を用いた独創的な曲で、土曜会の新境地を開く演奏となり、好評でした。北村信雄没5年にあたり、アンコールに北村が好んだ「からたちの花」を演奏しました。
これまで私たちをあたたかく見守り、ときには厳しい批評を下さった聴衆の皆様、OB・OGの皆様、ご指導いただいた指揮者、ソリスト、伴奏者、そしてさまざまな形でご助力をいただいた方々。 これら多くの方々のご支援に感謝しつつ、神戸土曜会合唱団はこれからも歌い続けます。
『北村先生を追悼する 神戸土曜会合唱団創立60周年記念誌』発刊
神戸土曜会合唱団では、06年11月23日の北村信雄追悼演奏会に合わせて『神戸土曜会合唱団 創立60周年記念誌』を刊行いたしました。
この記念誌は、既刊の50周年記念誌の続編であるとともに、長年、合唱界のために尽力された故北村信雄先生を追悼し、その偉業を顕彰するものです。土曜会合唱団の最近10年間の活動内容に加えて、北村先生の合唱への熱い思いにあふれた著述や談話などのほか、先生の生涯を年譜と写真によって紹介しています。
さらに、土曜会合唱団の過去60年間の全演奏曲目の索引と、演奏会のライブ録音から懐かしい曲、思い出の曲を集めたCD『あのとき、あの曲』を特別付録として付けております。是非この機会にお求め下さるよう、ご案内申し上げます。
なお、誠に心苦しいのですが、CD収録の『からたちの花』などの著作権料を含め、実費1部2000円のご負担をお願いせざるを得ず、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
ご希望の方は、メールフォームよりお申込みください。
=== 主な内容 ===
■ 神戸土曜会合唱団 この10年(39ページ)-北村信雄音楽生活60年記念演奏会、ヴォイス・トレーニング、モーツァルトのミサ曲全曲演奏、第4回ヨーロッパ演奏旅行、第九演奏会38年の歴史にピリオド、土曜会合唱団公式ホームページの開設、練習会場の移転、カトリック神戸中央教会再建お祝い演奏会、神戸栄光教会再建お祝い演奏会、北村信雄先生逝く、震災10年特別演奏会、その後の合唱団運営、後任指揮者、規約制定、北村信雄先生を偲ぶ会、神戸土曜会合唱団創立60周年記念演奏会、付表:演奏活動記録(1997-2006)
■ 北村信雄先生を偲ぶ(49ページ)-陸軍船舶部隊時代の思い出、零の時代、鐘紡社宅合唱団創立5周年を祝いて、第1回ヨーロッパ演奏旅行見聞記、音楽コスモポリタン、心癒す歌声 震災を越えて、老人の考えること(以上、北村先生の著述)、座談会「15年間をふりかえって」、北村信雄論(石田和夫)、天国の北村先生へ(岡安早苗)、北村信雄先生略年譜、写真集(16ページ)
■ 演奏曲目索引(29ページ)-神戸土曜会合唱団が過去60年間に演奏した1,000余曲の索引で、50周年記念誌と60周年記念誌から曲目を検索できるようになっています。
■ 特別付録CD『あのとき、あの曲』(CD1枚、解説4ページ)-思い出に残る演奏や神戸土曜会合唱団の愛唱曲などを中心に、演奏会のライブ録音から23曲を選んで復刻した保存版CDです。

この記念誌は、既刊の50周年記念誌の続編であるとともに、長年、合唱界のために尽力された故北村信雄先生を追悼し、その偉業を顕彰するものです。土曜会合唱団の最近10年間の活動内容に加えて、北村先生の合唱への熱い思いにあふれた著述や談話などのほか、先生の生涯を年譜と写真によって紹介しています。
さらに、土曜会合唱団の過去60年間の全演奏曲目の索引と、演奏会のライブ録音から懐かしい曲、思い出の曲を集めたCD『あのとき、あの曲』を特別付録として付けております。是非この機会にお求め下さるよう、ご案内申し上げます。
なお、誠に心苦しいのですが、CD収録の『からたちの花』などの著作権料を含め、実費1部2000円のご負担をお願いせざるを得ず、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
ご希望の方は、メールフォームよりお申込みください。
=== 主な内容 ===
■ 神戸土曜会合唱団 この10年(39ページ)-北村信雄音楽生活60年記念演奏会、ヴォイス・トレーニング、モーツァルトのミサ曲全曲演奏、第4回ヨーロッパ演奏旅行、第九演奏会38年の歴史にピリオド、土曜会合唱団公式ホームページの開設、練習会場の移転、カトリック神戸中央教会再建お祝い演奏会、神戸栄光教会再建お祝い演奏会、北村信雄先生逝く、震災10年特別演奏会、その後の合唱団運営、後任指揮者、規約制定、北村信雄先生を偲ぶ会、神戸土曜会合唱団創立60周年記念演奏会、付表:演奏活動記録(1997-2006)
■ 北村信雄先生を偲ぶ(49ページ)-陸軍船舶部隊時代の思い出、零の時代、鐘紡社宅合唱団創立5周年を祝いて、第1回ヨーロッパ演奏旅行見聞記、音楽コスモポリタン、心癒す歌声 震災を越えて、老人の考えること(以上、北村先生の著述)、座談会「15年間をふりかえって」、北村信雄論(石田和夫)、天国の北村先生へ(岡安早苗)、北村信雄先生略年譜、写真集(16ページ)
■ 演奏曲目索引(29ページ)-神戸土曜会合唱団が過去60年間に演奏した1,000余曲の索引で、50周年記念誌と60周年記念誌から曲目を検索できるようになっています。
■ 特別付録CD『あのとき、あの曲』(CD1枚、解説4ページ)-思い出に残る演奏や神戸土曜会合唱団の愛唱曲などを中心に、演奏会のライブ録音から23曲を選んで復刻した保存版CDです。
モーツァルトが作曲したと断定されるミサ曲は全部で18曲あります。
そのうち「レクイエム」が1曲(KV.626)、ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)が4曲(KV.66、139、337、427)、他はミサ・ブレヴィスです。
は、定期演奏会での、 は、チャペルコンサートでの演奏です。
「5.創立50周年から現在まで」に戻る
そのうち「レクイエム」が1曲(KV.626)、ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)が4曲(KV.66、139、337、427)、他はミサ・ブレヴィスです。
は、定期演奏会での、 は、チャペルコンサートでの演奏です。
戴冠式ミサハ長調 KV.317 | 1956.12.7 | 北村信雄 | ピアノ:野田明子 |
1966.10.23 | 北村信雄 | ピアノ:鎌田侑子 | |
1976.7.25 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 | |
1986.6.1 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 | |
1996.7.14 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 | |
2006.7.2 | 松尾昌美 | コンセール・オルタンシア オルガン:堂脇里真 | |
レクイエム ニ短調 KV.626 | 1960.5.13 | 北村信雄 | ピアノ:加藤ゆき子 |
1978.10.29 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 | |
1987.4.12 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 | |
2005.7.3 | 松原嘉雄 | アンサンブル神戸 オルガン:堂脇里真 | |
ミサ・ブレヴィス ニ長調 KV.194 | 1988.5.15 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 |
シュパウル・ミサ ハ長調 KV.258 | 1991.11.10 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 |
ミサ・ブレヴィス ニ短調 KV.65 | 1996.11.23 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 |
大クレド・ミサ ハ長調 KV.257 | 1997.6.8 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 |
パストラール・ミサ ト長調 KV.140 | 1997.11.24 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 |
ミサ・ロンガ ハ長調 KV.262 | 1998.7.12 | 北村信雄 | 関西フィルハーモニー |
ミサ・ブレヴィス ヘ長調 KV.192 | 1998.11.23 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 |
ミサ・ソレムニス ハ長調 KV.337 | 1999.6.20 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 |
オルガンソロ・ミサ ハ長調 KV.259 | 1999.11.23 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 |
孤児院ミサ ハ長調KV.139 | 2000.5.28 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 |
ドミニクス・ミサ」ハ長調 KV.66 | 2000.11.23 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 |
雀ミサ ハ長調 KV.220 | 2000.11.23 | 北村信雄 | オルガン:岡安早苗 |
聖三位一体の主日のミサ ハ長調 KV.167 | 2002.5.26 | 北村信雄 | 神戸市室内合奏団 |
ミサ・ブレヴィス ト長調 KV.49 | 2002.11.2 | 北村信雄 | オルガン:片桐聖子 |
大ミサ ハ短調 KV.427(417d) | 2003.7.6 | 北村信雄 | アンサンブル神戸 |
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2001年までの「第九演奏会」は、神戸市・神戸文化ホールが主催する「第9シンフォニーの夕べ」に協力出演したものです。1963年(昭和38)以来、38年間続きましたが、主催者側の都合により残念ながら2001年(平成13)をもって終了しました。
2007年から主催者は「MEDICAL CARE コンサート実行委員会」に代わりましたが、神戸土曜会合唱団として参加,共演させていただく演奏会として「演奏会歴」一覧表に掲載させていただきました。
2007年から主催者は「MEDICAL CARE コンサート実行委員会」に代わりましたが、神戸土曜会合唱団として参加,共演させていただく演奏会として「演奏会歴」一覧表に掲載させていただきました。
年・会場 | |||||
指揮者 | 管弦楽団 | ソプラノ | アルト | テノール | バス |
2007(該当エントリ) 神戸文化ホール大ホール | |||||
松尾昌美 | 大阪シンフォニカー | 福永修子 | 片桐仁美 | 西垣俊朗 | 田中 勉 |
2002-2006 | |||||
― | ― | ― | ― | ― | ― |
2001(H13) 神戸文化ホール大ホール | |||||
沼尻竜典 | 大阪フィル | 中丸三千絵 | 郡 愛子 | 錦織 健 | 木村俊光 |
2000 神戸文化ホール大ホール | |||||
大友直人 | 大阪フィル | 佐藤しのぶ | 坂本 朱 | 錦織 健 | 福島明也 |
1999(写真) 神戸文化ホール大ホール | |||||
山下一史 | 大阪フィル | 菅 英美子 | 西 明美 | 伊達英二 | 直野 資 |
1998(H10) 神戸文化ホール大ホール | |||||
十束尚宏 | 大阪フィル | 佐藤しのぶ | 郡 愛子 | 錦織 健 | 青戸 知 |
1997 神戸文化ホール大ホール | |||||
佐渡 裕 | 大阪フィル | 大倉由紀枝 | 井上和世 | 若本明志 | 木村俊光 |
1996 神戸文化ホール大ホール | |||||
O・レナルト | 大阪フィル | 田中潤子 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1995 神戸文化ホール大ホール | |||||
佐藤功太郎 | 大阪フィル | 田中潤子 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1994 神戸文化ホール大ホール | |||||
小林研一郎 | 大阪フィル | 田中潤子 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1993(H5) 神戸文化ホール大ホール | |||||
大友直人 | 大阪フィル | 安保淑子 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1992 神戸文化ホール大ホール | |||||
大友直人 | 大阪フィル | 安保淑子 | 井上和世 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1991 神戸文化ホール大ホール | |||||
尾高忠明 | 大阪フィル | 井岡潤子 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1990 神戸文化ホール大ホール | |||||
小林研一郎 | 大阪フィル | 安保淑子 | 井上和世 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1989(H1) 神戸文化ホール大ホール | |||||
渡辺暁雄 | 大阪フィル | 坂本 環 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1988(S63) 神戸文化ホール大ホール | |||||
大友直人 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 竹本節子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1987 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1986 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1985(S60) 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1984 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1983 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1982 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 神戸フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1981 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1980(S55) 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 林 誠 | 三室 尭 |
1979 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1978 神戸文化ホール大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 井上和世 | 西垣俊朗 | 三室 尭 |
1977 神戸国際会館大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 岡田晴美 | 田中万美子 | 田原祥一郎 | 三室 尭 |
1976 高砂市文化会館 | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 朝倉蒼生 | 田中万美子 | 林 誠 | 栗林義信 |
1975(S50) 神戸国際会館大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 中沢 桂 | 荘 智世恵 | 高 丈二 | 平野忠彦 |
1974 神戸国際会館大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 勝本章子 | 木村宏子 | 高 丈二 | 吉江忠男 |
1973 神戸国際会館大ホール | |||||
朝比奈隆 | 大阪フィル | 大川隆子 | 木村宏子 | 高 丈二 | 大橋国一 |
1972 神戸国際会館大ホール | |||||
山田一雄 | 京都市響 | 大川隆子 | 石光佐千子 | 森 敏孝 | 高橋修一 |
1971 神戸国際会館大ホール | |||||
渡辺暁雄 | 京都市響 | 平田恭子 | 石光佐千子 | 田原祥一郎 | 木村俊光 |
1970(S45) 神戸国際会館大ホール | |||||
渡辺暁雄 | 京都市響 | 砂原美智子 | 佐々木成子 | 丹羽勝海 | 平野忠彦 |
1969 神戸国際会館大ホール | |||||
外山雄三 | 京都市響 | 中沢 桂 | 石光佐千子 | 丹羽勝海 | 大橋国一 |
1968 神戸国際会館大ホール | |||||
渡辺暁雄 | 大阪フィル | 中沢 桂 | 石光幸子 | 丹羽勝海 | 平野忠彦 |
1967 神戸国際会館大ホール | |||||
外山雄三 | 京都市響 | 中沢 桂 | 野崎幸子 | 森 敏孝 | 大橋国一 |
1966 神戸国際会館大ホール | |||||
岩城宏之 | 京都市響 | 樋本 栄 | 長野羊奈子 | 森 敏孝 | 大橋国一 |
1965(S40) 神戸国際会館大ホール | |||||
森 正 | 京都市響 | 伊藤京子 | 佐々木成子 | 森 敏孝 | 大橋国一 |
1964 神戸国際会館大ホール | |||||
森 正 | 京都市響 | 伊藤京子 | 佐々木成子 | 森 敏孝 | 大橋国一 |
1963(S38) 神戸国際会館大ホール | |||||
森 正 | 京都市響 | 伊藤京子 | 佐々木成子 | 森 敏孝 | 中山悌一 |